5月29日 靖国批判
25日に細田官房長官が日中間の問題に対して事態を収拾する為、これ以上のコメントをしないという発言があったが、他の議員から火に油を注ぐような戦争裁判が違法だから悪くないみたいな発言が相次いでいる。それには一理あるかもしれないが何も今の時期にそんな事を言わなくていいだろうと思う。中国とはあまり険悪になるのは色々な面で得策ではない。腹の中に収めておいたっていいことだ。それなのに何故それを言うのか考えてみた。
終戦は1945年、今から60年前になる。今の政治家の大部分は戦争に加担してはいないだろう。今でも日本の戦争の批判は強いから昔はもっと強烈だったのだろうと思う。戦争に加担していないにもかかわらず、小さい時から戦争批判をされて、まるで自分が悪い事をしたかのように言われてきた人達なのだと思う。悪い事をしていないのに謝罪せよと言われてきたのである。しかし、日本人は謝りませんとは言えなかった。自分が悪い事をしていなくても過去に日本が侵略戦争をしたのは事実である。自分が悪い事をしていないのに謝らなければいけない人生だったとしたら性格は曲がるだろう。そうなった時に人はどうするか。自分を正当化するしかないだろう。悪い事をしていないのに謝らなければならないとしたら悪い事を自分の中で正当化する必要がある。そこでそういう発言にならざるを得なかったのだろうと推測する。それは人間としてごく普通の成り行きである。しかし、間違っているのは自分と日本という国とを一つに見てしまっているところだろうと思う。そうは言ってもそれを頭の中で整理して分けて考えるというのは普通の人間には出来そうもない。自分と日本という国を分けて考えるという事は謝ったとしても心がこもってないという事になる。そうなったら謝罪にはならないし、中国が怒るのも無理はないという事になる。結局のところどう考え、どう対処すればいいかは私にはわからない。
靖国神社にはA級戦犯が奉られているので、中国はA級戦犯を神格化して戦争に走ろうとしているという。私は靖国神社に行った事はないが、靖国神社を参拝している人はほとんどそう思っていないだろう。中国の主張は事実に基づかないものである。中国は戦争責任が全てA級戦犯にあるかのように主張しているが私はそうは思わない。A級戦犯はより思い責任であった事は事実だが戦争で死んでいった一兵卒にだってそれなりの責任がある。日本に残っていた家族だって、戦争遂行に加担していたのだからそれなりの責任はあるだろう。それをどこかで分けて、こっちは有罪、こっとは無罪なんてあり得ない。A級戦犯は戦争で死んだのではなくて死刑になって死んだのだから、戦闘で死んだのではないのだから、靖国神社に奉るのは適当ではないという意見もある。確かにそういう見かたもできるかもしれない。しかし、戦争にかかっわって死んでいったという大きな見かたをすれば戦争の犠牲者というのも外れてはいない。この問題は結論が出そうも無い。日本人にとってはどう結論が出ない問題でも中国人には結論があるようだ。A級戦犯だけが悪いという中国の考えには賛同できない。
中国の批判には歴史問題というのがある。今の教科書には従軍慰安婦という文字がないらしい。私が学んだ教科書には確かに従軍慰安婦というのがあったように思う。しかし、教科書を見てみると従軍慰安婦という言葉だけがあってその説明がない。それじゃ小学生にわかるはずがない。私が小学生の時に従軍慰安婦を学んだ記憶が無くても当然である。しかし、従軍慰安婦の問題を小学生に事細かに学習させるのにどんな意味があるのか。性的な問題だけに説明が難しい。へたをすると小学生に精神的に悪い影響を与えてしまい、大人になってから性犯罪が増えかねない。従軍慰安婦問題は高校生以上でないと無理ではないかと思う。日本の政治家が聖人でなく、自分を正当化しようとしているように、何も悪い事をしていない小学生に日本の戦争犯罪を教育し謝罪しなければならないような教育をするのはかえってねじ曲がった教育になるだろう。そうなれば大人になって犯罪を起こすとまでは言わないが、曲がった精神の大人が増えて社会が乱れるだろうという事は当然の結果として起こる。ここで極端な言い方をすれば正しい歴史を教えて曲がった精神を植え付ける教育をするか、間違った歴史を教えて健全な教育をするかという選択になる。でも中国は言うだろう。正しい歴史からしか正しい教育はできない。私もそう思いたい。しかし、自分が悪い事をしていないのに謝らなければならない人生が待っているとしたら、正しい精神を保つ事は難しいだろう。少なくともそういう矛盾を理解し、克服できるようになってからそういう教育をするべきだろう。しかし、現実的に一部の大人にはそれが理解できて克服できたとしても大部分の人間にはそれは無理だろうではないかと思う。はっきり言えるのは私には無理そうである。
色々と考えていると日本人でも賛否両論がでて収拾がつかなくなりそうな問題を、異なった文化、社会に住む中国の人々にそれを理解してもらうのはかなり難しい。日本の政治家が聖人ばかりではないように大部分の中国人にもその問題を理解し、解決できる人は少ないだろうと考える。1つだけ言えるとしたら、日本人と中国人が共通のビジョンを持てるとしたらお互いがそれに向かって融合する事が遠い将来できるかもしれないだろうという事である。共通のビジョンとは平和である。平和を実現する為には中国が日本に謝罪を要求するという事が無くならなければ無理だろう。しかし、その為には何でも中国の言うとおりにしないと実現しない。という事は日本は中国の分国にならないといけない。当分、平和は訪れそうもない。
5月24日 会談キャンセル
中国の呉儀副首相が来日し23日、小泉首相との会談を中止し緊急の公務との理由で帰国した。そういう事はまれな事という。その後、日本で靖国神社参拝問題が原因との憶測がされ、中国もそれを認めた。外交筋の話では格下の人がキャンセルするのは非礼という話もある。それはそうかもしれない。他にこれといったニュースがないのかこればかりがニュースに流れる。報道では小泉首相は不快感を示したとしているがニュースを見ているとただ冷静にコメントしているだけのように見える。マスコミが騒ぎを大きくしようとしているように思えてならない。呉儀副首相もキャンセルは仕方がないとしても後から靖国問題が原因と発表するなんて子供じみている。それなら最初から靖国問題というべきだし、後から付け足すように靖国問題とするのは利用できそうだから理屈をつけて発表したように思える。まあ会談しようがしまいが、どっちにしても結果は大して変わりはないから、さほど騒ぐ事もないだろうに、他にニュースがなかったせいで大騒ぎのように報道するのはマスコミの報道に対する責任を考慮していないからだろう。大きく譲ってマスコミが事実をゆがめようとする意思がなかったとしても、結果として事実が正しく伝えられないとしたらその責任は重大である。
5月10日 反日デモ
先月に始まった中国の反日デモは中国政府の強力な規制のせいで5月連休にはデモは起こらなかった。デモが起こらなかったというより起こせなかったというのが正しいだろう。
私は中国人の反日デモは正しいと思う。中国政府は共産党の1党支配であり、それはピラミッドのような階層になっている。そのピラミッドの頂点にいるのは胡錦濤総書記(61)である。彼はずっと政治の世界で生きてきた。中国は戦後の共産党支配の間、ある意味鎖国をしているような国だった。そこではずっと戦後が続いていた。たぶん、今でも中国は戦後なのだろうと思う。胡錦濤総書記には日本軍の記憶は無いが、その上の世代は強烈な戦争体験があったはずである。彼らはその恐怖から逃れる事は出来なかった。それは当然の事である。そして彼らは子供の世代に教訓を残した。日本への恨みを忘れるな。胡錦濤総書記は閉ざされた政治の社会でそういう声の中で生きてきた。だから日本への恨みが強烈なのは当然である。だから日本が少しでも戦争につながるような行動には敏感に反応する。中国は現在でも報道は極めて規制されていて中国政府の意に沿わない報道はできない。中国では知らず知らずの内に戦争世代の方針が現在でも社会に浸透する事となる。だから中国で反日デモが起きるのはごく当然である。
昔、日本は中国に謝罪しなさいというような中国の主張があった。当時は私もそうするべきかもしれないと思った。あれから随分と時間が過ぎた。私自身は戦争を知らないし、中国に悪い事をした事はない。私の両親でさえ戦争に行ってない。現在の私には中国人に謝ろうという気持ちは無い。戦争でひどい目にあった中国人には気の毒に思うし、日本政府が中国政府に謝罪するというのは理解できる。しかし、今デモを起こしているような20代の中国人に謝ろうなどとは思わない。彼らは戦争の直接の被害者ではない。中国政府はそうやって何時まで戦争の恨みを伝え、そういう行動に走らせようとするのか。子、孫、ひ孫、あと何世代続くのか。それとも終わりはないのだろうか。終わりが無いとすれば、永久に中国と日本は仲良くなれないという事である。それは何の為にそうするのだろうか。日本の政治にはビジョンがないが中国の政治には日本以上にビジョンが無い。
中国は現在、経済成長が著しいがそれはむしろ今までの遅れを取り戻しつつあるのだろうと思う。何故、中国の経済は遅れたのか。それは政治の硬直化にあると思う。日本ではM&Aが始まりつつあるが、それはアメリカの20年前という。アメリカの経済は好調だが日本はバブル以降、低迷している。色々な事が言われているが、根本は日本の政治や日本社会の考え方にあると思う。アメリカ社会は現在も進化しているが日本はその進化のスピードについていってない。アメリカ社会のスピードを4とすれば日本は2、中国は1だと思う。日本はアメリカに追いつけない。社会の進化のスピードと政治とは無縁ではないと思う。日本の郵政民営化論を見ていると過去にしがみつこうとしている政治家がいかに多いかがわかる。それはアメリカ、日本、中国の歴代の政治家のトップの年齢にも表れているように思う。アメリカの大統領は若い。以前、日本の政治家に年齢制限をつけるという議論があり、その時は理解できなかったが、ある意味それは正しいように思う。理想を言えば選挙で若い人がより選ばれるようになる事。それが自然な流れではある。しかし、その流れを待っていたら日本経済は浮上できないかもしれない。中国は今回のデモを抑えた事によって、社会は安定したようにみえる。一時、下がった日本の株価も大きくは下がってない。中国は民主化の時期を失したかもしれない。デモをしたほうが社会が進化するとは思わない。デモの結果、社会がどう変化するのかが課題である。デモを抑えて何もしなければ中国は硬直化し、ますます社会は取り残される。日本でのM&Aが示すように一気に社会は進化できない。
日本は物を作る技術は優秀である。それは一生懸命にひたすら仕事に打ち込む事で実現できた。しかし、社会はトータルな時代になったと思う。物を作るだけではなく、その他の様々なものを効率化しないと進化できない社会になったのだと思う。日本人は物を作るときに重箱の隅をつつくようにして完全な物を作ってきた。これからは社会のあらゆる事に重箱の隅をつつくような改善が要求されるのだろうと思う。
5月8日 警察独裁国家
テレビを見ていたら、静岡県で河合さんという人の冤罪事件の報道がされていた。河合さんは同居していた女性の子供を風呂場で殺害したとして、実刑を受け、現在は出所して生活しているという。河合さんは同居の女性をかばって自白したようだが、警察は同居女性の取調べの際に同居女性が殺害した自供があったにもかかわらずその事実を隠して、裁判となった。警察は全ての証拠を提出するべきであり、それを故意に隠した事により間違った裁判結果となるならば警察が犯罪を犯したという事になるだろう。警察の責任者は実刑を受けるべきだし、もし、その人が既に退職していたとしたらさかのぼって責任追及をし、退職金の返納や懲戒免職などを受けるべきだ。しかし、北朝鮮にキムジョンイルという独裁者がいるように、日本には警察という独裁者がいた。警察官はどんな犯罪も受け付けない。法律を無視してあらゆる暴虐を行えるのは、日本が法治国家と言いつつも実際はそうではないという事を認識しなければならない。
次に放送されたのは大阪のヤミ専従。このところしきりに大阪府のムダなお金の使い方が問題になっているが、その1つのようだ。大阪府の労働組合に勤務しながら、実際は大阪府から給与をもらっている。本来は組合費から専従の人の給料を支払わなければならないはずだ。国会議員が秘書の給与を不正に受け取ったとして詐欺に問われているのだから、当然、ヤミ専従の人は詐欺で訴えられ、懲戒免職という事になるのが筋と思うのだが警察はそうしないようだ。ここにも警察の気持ち一つでどうにでもなるという事例があるように思う。こんなテレビばかり見ていると、日本がいやになってくる。何かいいことはないのだろうか。
5月3日 口内炎
先日、購入した口内炎の薬は3日坊主に終わった。1日に2〜4回、薬をつけるとあったので最初の日は4回つけたが、翌日は3回、次の日は1回つけたように思うが後は記憶がない。しかし、薬をつけた効果はあったようで、いつもならだんだんと痛くなるはずなのだが、痛くならずに消えた。こんな事ならもっと早く薬を買うべきだった。薬はまだ5分の1も使ってないくらいなので重宝しそうである。