ホテルで死ぬのか

シンガポールに来てはや3週間。ようやくシンガポールにも慣れはじめた頃、仕事からホテルに帰った私は、背中にやや痛みを感じ早めにベッドにもぐりこんだ。
しかし、ベッドに仰向けに寝ていれば和らぐ筈のかすかな痛みは、夜中の12時を過ぎてだんだんと激しくなり、ついにベッドから起きてしまった。このまま海外で死んでしまうのか。本気でそう考えていた。今までにこんなに背中が痛くて眠れない事はなかった。何か病気なんだろうか?
私はただ起きたのではなく、かすかな望みを探そうとしていた。
シンガポールに15〜16人で来ていたがだんだんと人数が減り、今は2人。少々心細くもなっていたが、もう1人に電話しようとしていたのではない。
そういえば、出張するまえに海外旅行保険の小冊誌を渡されていたことを思い出したのだった。何が書いてあるのか皆目検討もつかなかったが、これに望みを託すしか考えが浮かばなかった。シンガポールに来る直前に買った特大のボストンバッグを探してみると、あった!。
だんだんとそれを読んでいくうちに、わずかな望みがつながった。シンガポールには24時間受け付けしている日本語オペレータのアジアの拠点があったのだ。それまでにホテルから市内電話をかける方法は開発済みだったのですぐに電話をかける事が出来た。(今はもう覚えていない)
聞きなれたなまりのない日本語が聞こえた。やれやれ、日本語でよかった。事情を説明すると往診しましょうかといった。え?少し躊躇したがお願いしますといった。30分ほどするとお医者さんらしき人が部屋に来た。その間私は身をよじるようにして、何時来るのかとやきもきしていたが実に迅速だ。仕事でも感じていたがシンガポール人は意外と誠実だ。
私があらかじめ辞書で引いて背中とか痛いとかいうと、わかったのか分からないのか分からないが、お医者さんは胸や背中に聴診器をあてた。私が原因を尋ねるとマスと言った。マスを辞書で引くと筋肉だ。筋肉がどうっだっていうんだ。さらに私が尋ねるとお医者さんは慣れた手つきで電話をかけはじめると英語で喋り始めた。そして受話器を私によこすと聞きなれたような先ほどかけた女性らしき声がした「筋肉痛です」。なんとお医者さんは通訳の為に電話していたのだ。私は非常に感心したが信じられなかった。筋肉痛でこんなに痛いのか?
ともかくお医者さんは痛み止めの薬をくれた。それを飲むと少し痛みがやわらいで眠れるようになったがまだ不安だった。

次の日起きると少し痛みはあったがそれほどでも無くなっていた。しかし、シンガポールに来て3週間ほどになりしかも仕事の遅れでさらに滞在を余儀なくされていた私はビザを持ってなっかった。ビザ無しではシンガポールに1ケ月しか滞在できなかった。ので、同じ会社の人に聞いていた一度出国してその日の内に再入国し2週間滞在を伸ばす術を実行するかどうかまだ考えあぐねていた。このまま日本に帰ろうか本気でそう考えていた。しかし、日本に帰るには飛行機を予約する必要があった。このまま滞在を続けるならばあさって以降はさらにもう1人も帰り私一人になってしまうので今日2人でマレーシアに行きたかった。1人じゃ心細い。もう1人の後輩には最後に一緒に観光旅行しようと言いくるめてあった。実のところ助かったというのが本音である。考えあぐねているうちに日は高くなってしまった。

ジョホルバールに行こう。しぶしぶ重い腰をあげた。

マレーシア(ジョホルバール)

マレーシアにはホテルから歩いていける所に駅があるので列車で行く事にした。何処かのテレビ番組で見た、のんびりと列車の旅というのはちょっとあこがれる。1時間足らずでマレーシアの玄関口ジョホルバールに行ける。
駅で切符を買う。はっきり覚えていないが片道1S$(約100円)だ。

出国手続きは駅のホームに入る前にする。戸惑っていると駅員さんが教えてくれた。おいおい、おそわるなよ。
ディーゼルの機関車にひかれて走る3等列車に乗り込む。あまり混んで無くゆったりとすわれた。庶民的気分を満喫する。天井の扇風機も懐古的。冷房は効いて無いが窓を開ければ適度に風が当たりくつろげる。

外の景色を見ながら雰囲気にひたる。
シンガポールは小さな一つの島になっていて、マレーシアに行くには海を渡る。
ジョホルバールの駅前。

駅前は工事中が多く、ごみごみしていた。日本の何処かの駅前と雰囲気はちがうがどこか似ている。
マレーシアではタクシーに乗る前に値決めをしておかないと法外な料金を取られるらしい。マニュアル通り値決めをしてタクシーで観光。
偶然いた、日本人の母と娘の2人連れに観光スポットを聞いた。日本人て何処にもいるもんだと思った。
ジョホルバールの海岸からシンガポールを見る。
よく分からないので昼飯はハンバーガーで軽く食事。
その後、ショッピング。私は靴下を買った。彼はトランクスを買った。シンガポールにはブリーフしかないのであったら買ってきてくれるようにお客さんの日本人に頼まれていたらしい。
帰りは1等車で帰る事にした。(千円ちょっとだったと思う)1等車は先頭にあるのでそちらに歩いて行くと駅員にあっちへ行けというしぐさをされた。でも切符を見せると入れてくれた。1等車と2等車は運行中は行き来出来ない。マレー鉄道の最後のちょっとに千円も出す客は滅多にいないんだろう。
1等車はクーラーが効いて快適だ。でも1番よかったのは3等車に乗って風を切りながらのんびりと風景を楽しんだことかな。

この後、5月連休をシンガポールで1人で過ごしたが、シンガポールには5月連休はなく普通に仕事をしていた。
ホテルでは毎朝新聞がくるが英語なのでよくわからなかったが、日本で何か事件が起こっていた事は分かった。会社でシンガポールの人からアジアで一番安全なのはシンガポールだというのを聞いたが、なんの事かその時は分からなかった。帰国後、分かったのだが例のサリン事件だった。その後、シンガポールに行った時にもシンガポールが1番安全というのを聞いたが、そうかもしれない。
でも金品に関してはやはり日本の方が安全だ。シンガポールで屋外のテラスなどで食事をする時など、椅子の横にカバンを置くと店の人にテーブルの下にいれるようにジェスチャーまじりで注意された事は1度や2度ではない。

例の筋肉痛はその後よくなり、結局その場で書いた書類を渡しただけで保険で済んだのだろう料金は一切払って無い。ありがたい。その後1週間位してそのお医者さんから電話がかかってきて具わいはどうですかと聞かれたが、私は英語がうまく話せなかったのでサンキューとノープロブレムを連発して終わった。本当に感謝、感激、雨あられ。(おっと、これは余計だ)まだ、その時にもらった名刺を今でも持っている。指名する事はないと思うけど。